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| 公共工事の入札制度に市場原理を導入し自由競争を促していくことには、基本的に賛成です。なぜなら、それが世の中で善行として求められている進歩であり、これに適応することが企業としての責任であると思うからです。 それでは、市場原理を導入するとは、実際にどういうことかと言えば、指名競争入札から一般 競争入札へ変えていき、業者間の競争を促すことであると理解しています。電子入札、一般 競争となれば、いやがおうでも自由な価格競争をしていかなければならないと思います。その中で一定の品質を確保するために、安かろう悪かろうを排除する目的で総合評価方式を導入し不適格業者の排除、優良業者の優遇につなげていこうということだと理解しています。 これからの公共工事入札は、一般 競争入札を促進することにより参加者数の制限を無くすことが重要であり、そのことによってはじめて市場となりうるのだと思います。売り手買い手が市場原理よって公共工事入札の場を、自由競争の場にしていかなければならない。しかしながら以下の要素が決定的に市場化を阻害していることについてどのように理解すればよいのでしょうか。 | |
| 積算された実勢価格を予定価格とし、これに上限拘束をもたせ市場原理を阻害させていること。また市場では売り手と買い手がやりとりしながら価格が決まっていく(市場が価格を決めていく)。しかし公共入札では買い手側だけが価格を決める権利をもたされているので売り手側の行為が価格に影響しにくく、市場原理を阻害していること。 入札制度の一部にだけ市場原理が働くようにはかり、一部には強力な制限を残しておく。これは、非常にいびつなものであり公共工事にたずさわる建設業者を摩滅するための装置でしかないと思います。 | |
| 予定価格の上限拘束についてですが、予定価格とは実勢価格であり、実際に工事を行った場合これくらいのお金がかかるだろうという金額だと理解しています。またこの金額を計算することを積算といいますが、およそ事細かに余分なものを排除し贅肉を落とし余分な税金はびた一文出さないものだと理解しています。こうしてひとつひとつ事細かに積み上げていった金額は、ほぼ適正な価格になっているものだし、またそうあらねばならないものだと思います。ですからその予定価格を上限にしてしまうと常にマイナスの領域でしか競争をしてはならい市場ということになってしまいます。 実際には地方自治法や会計法で定められていることだから変えることはできないと言われてしまうのでしょうが、しかし法律を変えて予定価格より上でも落札できるようにしていかないと、このままでは互いに消滅するまで殴り合いをしなさいと言っているに等しいような気がします。常に実勢価格より安くしか受注させないのですから、それが来年の単価の礎となりまた安くなりの繰り返しです。売り手が価格を決めてしまう行為についても、公共工事の性質からして他に求めようがないし、それ以外ないだろうと思います。そういう場所へ市場原理を導入するからには、なんらかの手立てをしておかないと、法による無敵の強者と弱者という構図になってしまい弱者としては、将来を考えると暗澹たる気持ちになってしまいます。 | |
| 公共工事を請け負う仕事に誇りをもつことができるよう、是非にも市場原理を導入し胸を張って競争し、正々堂々商売をする。そうしたら、儲からなくても子供(後継者)に、『面
白い仕事だよ、やりがいのある仕事だよ』と言えるのだと思います。談合問題などの反社会的な要素は徹底的に排除しこの業界が進歩していくには、上記の問題点を解決していかなければなりません。それには、他国の先進事例を探してそれを参考にしたりするのもひとつの手だと思います。このような不完全(いびつ)な制度のままで進んでいけば国の形がおかしくなってしまわないか。これは、売り手と買い手だけの話ではなくて、もっと大きく将来のこの国の形を思い計る心があるかないかの問題になってくるのだと思います。 実際には理想の入札制度(上限拘束無し)が整備されたとして、まったくの自由競争のなかで、生き残っていけるかどうかは、はなはだ自信はありません。途中退場を余儀なくされてしまう可能性は大きい、しかし今のままで入札制度が進んでしまえば、一企業の存亡など取るに足らないほどの災禍となるのは必然のことだと思います。 適正価格を導き出す手段としての積算も、いまよりももっと細分化し100m以下、10t未満等の荒い区分けではなく、もっと少量 な施工単位にも対応していかなければならないでしょう。この小量な施工単位については、まったく信じられないような安い値段が現状の積算技術では計算されてしまいます。主にこういった少量 な施工は、地元に会社があり地元の仕事をする小企業が受注する工事に多く含まれています。適正価の決定を市場にゆだねられない以上、価格の決定権をもつ発注者は、ここに相当の労力を費やすべきですし、各現場に応じた綿密な積算を体系にのみとらわれることなく実際の施工に即したものとしていかなければいけません。 | |
| それでも現場はあらゆる要素によって変化します。設計どおりに施工できる保証は誰もできませんし、実際には変更のない工事は、よほど特殊なめずらしい事だと言えると思います。協議書を交わす時間がなかった、口頭で了承をしただけだった、予算がなかった、変更手続きが大変だから等の理由で変更を拒否することはやめましょう。工事の完成に必要であった措置(作業)については、しっかり支払いをするべきです。請負金額の10%までなら変更しますよ。とか、30%超えたものは、泣いてもらいますよ。というようなお話をよく聞きます。裁量
権の範囲のお話だと思います。裁量権の範囲のなかで工事が行われれば問題ないのでしょうが、実際の工事はそう都合よくいきません。変更をたくさんした担当者は、賞与が減るのでしょうか?設計をしたところにペナルティーがあるのでしょうか?わかりませんがもう少し民間での商取引に比しても手本となるようなことをしないと、入札のときだけ市場原理を導入して支払いのときには、立場を利用して支払いに応じないというのでは、なんだか悪代官の活躍をみるようで、現場代理人を黄門様にでもしなければ(それも漫遊しないで常駐)とても解決しないでしょう。 | |
| 変更契約の件についてはまだしも、上限拘束については、いじれることじゃないよ。といわれるのは承知しております。無謀な意見だと言われるかと思いますが。いずれは変わることだろうとも思っています。 公共工事の入札を公正で公平にするには、まずは上限拘束の撤廃を行うことです。上限拘束を撤廃することで公共工事の入札制度は自由競争を行う場として整うのだと思います。ただ単に、一般 競争入札だけ導入していったら、片方にだけ都合のよい制度が自由といいながら自由ではない競争の場を作り、始末が悪いことにあたかもそれが理に適っているかのような錯覚を世間に対して与えてしまっているだけだと知るべきです。逆に上限拘束を撤廃できないのなら、入札制度に市場原理を導入し自由な競争を行わせるということは到底実現できないということになってしまいます。 この当たり前のことを認識し、今の入札制度では根っこのところがおかしなことになってますよ。という声を上げていかなければ、当たり前のことすぎて逆に気づかれないことのような気がします。 | |
2008/05/23 | |
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